東京地方裁判所 平成11年(ワ)7209号 判決 2000年9月28日
東京都杉並区(以下略)
原告
甲野太郎
右訴訟代理人弁護士
鬼丸かおる
東京都練馬区(以下略)
被告
乙野花子
右訴訟代理人弁護士
河合弘之
同
町田弘香
同
木下直樹
同
松井清隆
同
泊昌之
同
松村昌人
同
蓮見和也
同
松尾慎祐
同
上田直樹
同
久保健一郎
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
事実及び理由
第一 原告の請求
一 被告は原告に対し、別紙目録記載の著作物につき、発行所を○○株式会社として増刷出版することに同意せよ。
二 被告は原告に対し、別紙目録記載の著作物につき、韓国語に翻訳して出版することに同意せよ。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
第二 事案の概要
本件は、原告と被告が執筆した別紙目録記載の著作物(以下「本件書籍」という。)について、原告が、本件書籍は被告との共同著作物であるところ被告が正当な理由なく本件書籍の増刷出版及び本件書籍の韓国語での出版を拒んでいると主張して、本件書籍の共有著作権に基づき、被告に対し本件書籍の増刷出版及び韓国語での出版についての合意(著作権法六五条二、三項)を求めているものである。
一 当事者間で争いがない事実
1 原告と被告はいずれも経済学の研究者であって、原告は○○大学○○学部の教授の、被告は××大学××学部の教授の職にある。
2 原告と被告は本件書籍を執筆し、本件書籍の第一版第一刷は平成八年九月二〇日出版された。
二 争点
1 本件書籍は、共同著作物か、結合著作物か。
2 被告が、本件書籍の増刷出版及び韓国語での翻訳出版を拒むについて、正当な理由があるか。
三 争点についての当事者の主張
1 争点1(本件書籍の共同著作物性)について
(原告の主張)
本件書籍は、原告と被告との共同著作物であり、原告と被告との執筆部分が区別できる結合著作物ではない。
本件書籍は、○○株式会社の出版する月刊誌「経済セミナー」において、平成七年四月から平成八年三月まで一年間にわたり連載された「戦後日本の経済発展と構造変化」(以下「本件連載」という。)に修正、加筆してできたものである。そして、本件連載は、毎回、原告と被告が二人で書き、調整して掲載したものであり、一回毎に筆者が交替するとか、原告、被告で分担を決めて書き分けたものではない。電子メールでのやりとりやフロッピーの受け渡しで原告、被告が互いに修正を加え合って連載したものであって、まさに文字通り共同で著作した連載であった。右連載を基に、平成八年一月半ばころから約半年間をかけて、原告と被告が再構成し、加筆して出来上がったのが本件書籍である。したがって、本件書籍中、どの部分を原告あるいは被告が執筆したかは、全く指摘できない状態にある。そして、本の目次にもあとがきにも原告・被告のお互いの執筆部分が明示されているわけでもない。
すなわち、原稿を執筆するに当たっては、原告と被告の間で幾度も協議を重ね、意見を交換して草稿を作り、草稿を交換したうえで執筆したものである。実際の執筆についても、草稿に基づき原告あるいは被告がパソコンで打った原稿をフロッピーのまま相手に手渡して互いに修正し合ったり、あるいは電子メールで送り合って調整して書き上げた。被告は、原告に送信した書類の一覧(乙一)を提出し、これらの原稿はすべて被告が書き下ろしたかのように主張するが、これは事実と異なる。右に述べたように原被告間で原稿を修正し合った後の原稿を被告が原告に送信した一覧が乙第一号証である。そして、本件書籍は、そうした本件連載を基に平成八年一月半ばころから約半年間をかけて、原告と被告が再構成し、加筆して出来上がったものである。
したがって、本件書籍中、どの部分を原告あるいは被告が執筆したかは、全く指摘することができないし、本件書籍の目次にもあとがきにも執筆部分を明示していない。本件書籍の「あとがき」二三三頁に記載があるように、「連載は毎回二人で書いたが、それぞれ自分が面白い、よく書けたと思うところが違っていて、調整もなかなか大変だった。」のであり、被告の主張するように被告が書き下ろした原稿を原告に電子メールで送り、それに原告が少し手を入れて完成原稿にしたといったものではない。また、たしかに資料のほとんどは被告が集めたものであるが、これらは被告が独自に作成したものではなく、出典として引用されている資料を収集したにすぎない。そうすると、本件書籍は原告と被告との共同著作物とはいえるが、原告と被告との執筆部分が区別できる結合著作物ということはできない。
(被告の主張)
本件書籍は、原被告各々の担当部分が区分されている結合著作物である。
本件書籍は本件連載を、一冊の本としてまとめたものであるが、同連載にあっては、原被告各々の担当部分が存在しており、被告は自らの担当部分たる文章を書き下ろし、図表を作成し、これを原告に対して電子メールで送信し、同メールを受信した原告において若干の加筆(その多くは関連エピソード、感想など)・削除を行い、最終稿を出版社に送付するという形態で執筆が進められた。その状況は、フォルダ一覧(乙一)に残されているが、これによると、被告は、次のとおりの期間に自己の執筆部分を自己の最終原稿として書き下ろし、原告に対して電子メールで送信していた。
第一回連載分 平成七年二月五日
第二回連載分 平成七年二月二六日
第三回連載分 平成七年三月二六日
第四回連載分 平成七年四月二四日~平成七年五月一日
第五回連載分 平成七年五月二一日~平成七年六月二日
第六回連載分 平成七年七月三日
第七回連載分 平成七年七月一七日~平成七年七月二八日
第八回連載分 平成七年八月二二日
第九回連載分 平成七年一〇月一日~平成七年一〇月一二日
第一〇回連載分 平成七年一一月六日~平成七年一一月一二日
第一一回連載分 平成七年一一月二六日~平成七年一二月三日
第一二回連載分 平成八年一月五日
メールで送信した被告担当部分をプリントアウトした部分と本件連載及び本件書籍の相当部分を比較すると分かるとおり、被告の作成した原稿が、電子メールで原告に送信され、それがほぼ本件連載での被告執筆部分となり、ほぼそのまま本件書籍の被告執筆部分となっている。すなわち、被告が電子メールで原告に送信した文章は、本件連載における文章とほぼ同一となっており、被告文章について原告の手が加えられた部分はごく少ない。また、本件連載における被告作成部分の文章は、本件書籍における文章とほぼ同一となっており、本件書籍刊行に際しても被告文章について原告の手が加えられた部分はごく少ない。すなわち、本件書籍においては、被告作成部分とその余の原告作成部分とを区別することができる。そうすると、本件書籍は、被告作成部分と原告作成部分とが結合された著作物であって、原告と被告との共同著作物ではないというべきである。
たしかに、本件書籍のあとがき(二三一頁から二三四頁)に、「連載は毎回二人で書いたが、それぞれ自分が面白い、よく書けたと思うところが違っていて、調整もなかなかたいへんだった。」との記載があるが、それはあくまで調整であって、実際には、調整後も、被告作成部分とその余の部分とが特定でき、区別可能である。かつ、被告作成部分に対する原告の修正もあまりない。また、本件書籍の目次中に執筆部分は明示されていないが、これは、原告と被告の各執筆部分を明瞭に区別できるとはいえ、実際に書物にする場合に、章毎の区分ではなく、細かな区分となるため、例えば、「何頁の何行目から何頁の何行目まで被告執筆」のように記載することが実際には煩雑であり、体裁としても好ましくないために便宜上記載をしなかっただけであり、結合著作物であることを否定する理由とはならない。
2 争点2(被告が本件書籍の増刷、韓国語への翻訳を拒む正当な理由の有無)について
(被告の主張)
被告が、本件書籍の増刷出版について同意しない理由は、被告が本件書籍のほとんどを書き上げたという事情のほか、次のような事情があるためであり、正当な理由がある。
(一) 被告は、本件書籍の自己の担当部分について、学問的に構成を見直す必要があると考えており、また、今後、本件書籍を更に発展させて、新たな著作を独自に世に問う予定であり、過去の執筆書籍について版を重ねることを希望しない。被告が今のところ見直しを考えている部分は、左記のとおりである。
<1> 「構造調整」のとらえ方
本件書籍の序章の最初で、「われわれは経済発展とは長い長い構造変化・構造調整の過程だと考えている。」との記載があり、それ以降も「構造調整」が本件書籍のキーワードとして一部で強調されている。しかし、被告にとっては、この「構造調整」というキーワードが、全体の意味付けにとってどの程度の意義があるのかについて、その定義、適用範囲などについて疑問が残っている。しかも、本件書籍では、「構造調整」というキーワードを基盤とした展開がその後の章において不十分である。
<2> 労働面での構造変化の分析が不十分
本件書籍では、戦後の経済成長の過程での様々な構造変化を取り上げており、その中に労働市場の構造変化も含んでいるのであるが、その内容は被告からみて満足できないレベルのものである。被告は、労働面での構造変化を生産面での構造変化を反映した需要面という側面からのみでとらえるのではなく、人口年齢構造、女性の社会進出、「労働の質」の変化といった点を含む、サプライサイド(供給面)からの分析によってとらえ直すことが適切であると考えており、大幅に書き改めることが必要である。
<3> 「第四章 技術導入と社会的能力」について
一つの国の経済発展にとっての外資導入の有効性を考えるには、その国が置かれている国際環境を明確にする必要があると被告は考えているが、本件書籍では、この視点が欠けている。また、外国からの技術導入の意味については、「労働の質」と密接に関連する問題であると被告は考えているが、本件書籍では、この視点が十分に展開されていない。いずれの点についても、大幅に書き改めることが必要である。
<4> 「第五章 政府の役割」について
第五章については、産業調整面での政策が、社会的調整コスト(失業等)の軽減にどの程度寄与しているかという視点を加えて、新たに再構成する必要がある。
<5> 「第六章 企業ネットワークの形成」について
第六章については、第四節以外については、原告が執筆担当者である。被告の目から評価すると、この記載部分は、統計資料ないしはケーススタディによって裏付けられた確たる内容とはなっておらず、不満があり、被告が新著を出す際には、本章に相当する部分については、全面的に書き直すか構成上カットしたい部分である。
<6> 「第七章 空洞化するか日本経済」について
第七章については、被告の執筆担当部分であるが、多角化・国際化の展開の事実の整理だけにとどまっており、日本経済の国際化の中で、各企業が生き残る方途を、より具体的にかつ深く掘り下げる必要があると考えるし、章の名称自体からして被告の目からは不満であり、例えば「経済国際化の中の日本企業の行方」などとして、内容を全面的に書き改める必要があると考える。また、企業の国際化と並行して人の国際化という視点から行う分析も不可欠と被告は考えているが、本件書籍ではその視点が欠けており、全面的にこの視点からも構成を見直す必要がある。
このように、被告は、本件書籍について、主要な視点の欠落から来る不十分さを感じており、学問的に構成を大幅に見直す必要があると考えている。被告は、今後新たな著作を独自に世に問う予定であるが、その関係もあり、視点の不十分な本件書籍について版を重ねることを希望しない。なお、原告は、この事情については本訴になって初めて被告が言い出した理由であり、真実の理由ではないと主張するが、被告は本訴が提起される以前の平成一〇年七月一五日の段階で明確に示している。また原告は、被告の方で出版社が決まっている様子はなく、原告の権利を妨害するためにだけ主張しているとも述べているが、これは単なるいいがかりである。被告を始め、多くの学者は、自分の研究分野について研究をし、その成果を文章でまとめるなどして研究を進め、発表を企図する段階になった場合には、その時点で、出版社と交渉する形態をとっている。また原告は、本件書籍の基礎となった本件連載の終了後に出版することを考慮するのに十分な時間があったと主張するが、誤りである。連載が終了したのは、平成八年三月号であり、本件書籍は、平成八年九月二〇日に出版されているところ、その間には、構成の変更、加筆作業、校正作業、印刷、製本、配本という過程が存在しているのであるから、時間的余裕は全くなかった。
(二) 被告は、○○株式会社の担当者に対する手紙において、重版を認容してはいない。○○株式会社の担当者は、書簡(甲四)中において、出版社と執筆者との関係をことさら悪化させる「盗作」等の表現を用いており、出版社と被告との間には、良好な関係を継続することが困難な事情がある。原告は、この事情については、出版社側が被告に対する風評を心配して忠告しただけであると主張する。しかし、「盗作の噂が出る。」等の記載を、真心から出た心配と読むことはできず、むしろ被告に対する脅迫的言辞を通じて重版という自己の希望を貫徹しようとしていると認識するほかない。また、本件書籍の出版については、○○株式会社の担当者は、出版社と執筆者との間に締結された契約書すら送付してこない。
(三) 原告は、本件書籍の増刷についての交渉の過程で、被告に対し、著作権を放棄するよう要求する等の理不尽で無礼な書面を送付した(乙六の1・2)。原告は、原告が被告に書面を送付したのは、被告が本件書籍の増刷に同意しないことを明らかにした後に発生した事実であるから考慮すべきではないと主張するが、拒絶の正当性については、口頭弁論終結時までにあらわれた一切の事情を参酌すべきである。
(四) 本件書籍については、既に、ある程度の部数が初回印刷で行き渡っている上、現在でも書店での注文により購入が可能であり、増刷の必要性もない。原告は、十分在庫があることを証明できたわけではないと主張するが、在庫切れとなっていることは原告が立証すべきであり、また、現在でも書店での注文で購入が可能であることは事実である(乙一〇の1~3)。
また、被告が本件書籍を韓国語に翻訳することに同意しない理由は、上述した(一)~(三)の理由のほか、以下のような事情があるからであり、正当な理由がある。
すなわち、一般に他国語への翻訳は、一定の技量を有する翻訳家や学者においても、原典の筆者の意図した文脈、語感及びニュアンスを正確に表現することには異言語の壁から困難性があり、特に、学問的書物の翻訳にあっては、書物の性質上、意図、ニュアンス、語句の正確性が要求される。しかも、英語等であればともかく韓国語については被告が完全にその語彙及び語法に通暁しているわけではないので、韓国語に翻訳された自己の執筆物について原著作者として責任をもって校正を行うことができないものであるし、そもそも、学問の書物は常に原典に当たるべきであって、原典が日本語で記載されている場合には、日本語を学習して、学究の用に供するのが学問の本道であると被告は考えている。なお原告は韓国の学者から翻訳の要請があると主張するが、一人の学者が担当している八〇名ないし一〇〇名の学生の閲読のために翻訳の要望があるとしても、その必要に応じた限度での翻訳を行えば足り、あえて韓国語による出版までも行う必要性及び合理性はない。
(原告の主張)
被告が、本件書籍の増刷及び韓国語翻訳に同意しないことについては、正当な理由はない。本件書籍については、韓国において韓国語での出版が希望されているほか、増刷の要望が強く、被告もこの事実を承知していて出版社にも自ら手紙で断り、正当な理由なく本件書籍の増刷及び韓国語への翻訳を拒否している。被告は、<1>本件書籍は見直す必要がある、<2>被告は新たな著作を出版する予定がある、<3>翻訳は正確性の問題がある、<4>出版社と被告の間に良好な関係を継続することが困難な事情がある、<5>原告が著作権を放棄するよう無礼な書面を送付した、<6>増刷の必要がない、という各点を正当理由の根拠として主張する。
まず、被告は、<1>本件書籍の自己の担当部分について、学問的に構成を見直す必要があると考えていると主張するが、そもそも「自己担当部分」というものが存在しないのであるから、このような主張は失当である。また、被告は電子メール上の自己紹介において、主要著書として本件書籍を掲げており、重版を断った後にも自己の主要著書扱いしていることからして、本件書籍を見直す必要を自ら感じているはずはない。また、この理由は、本訴になって初めて被告が言い出した理由であり、真実の理由ではない。出版後に見直したい部分が生じることはむしろ通常のことであって、出版を拒否する理由にはなりえない。見直したい部分が仮にあるならば、本件書籍に訂正を加え改訂版にすればよいことである。また、被告は、「構造調整」の語について述べるが、もしかように異議があるのであれば、本件連載の原稿の段階でも原告に異議を述べるはずであったし、また、本件書籍の一部に展開が不十分な箇所がある旨主張するが、本件書籍の出版をした以上は、「展開が不十分」と言った曖昧な主張は、出版に同意しない正当な理由とはなり得ない。もし、被告が<1>のような考えを持っていたのであれば、本件書籍の出版に先立つ本件連載の連載中に調整することも可能だったし、本件書籍を出版すべきでもなかった。また、本件連載の終了後、本件書籍を出版するについては何ら拘束される事情はなかったし、また出版することを考慮するのに十分な時間もあった。しかし、その時には被告は何らの問題提起もしていなかったのであり、それにもかかわらず増刷の時期に至って出版を拒否するのは、法的に主張し得ない別の理由があるからである。すなわち、例えば、もし被告に新著の予定があるのであれば、単独の業績となる新著のみを生かし、原告の業績にもなる本件書籍は葬ろうといった理由である。被告が新たに独自の著作を出版することは自由であり、そのために本件書籍の重版を希望しないことは理解し得るが、原告は出版を希望しているのであるから、そのことによって原告の著作権行使が妨げられるのは不当である。
<2>の、被告が新たな著作を出版する予定があるという理由については、その真実性が疑わしい。たしかに被告は陳述書(乙九)にそのような記述をしてはいるが、出版社が決まっている様子はなく、原告の権利を妨害するためにだけ主張しているとしか考えられない。
<3>の、翻訳は正確性の問題があるという理由は、翻訳本にはいずれの場合もつきまとう問題である。しかし、解決方法のない問題ではなく、単に技術的な問題であるから、翻訳そのものを拒否する理由にはならない。
<4>の、出版社と被告の間に良好な関係を継続することが困難な事情があるという理由であるが、書簡(甲四)の記載は、被告が本件書籍の重版を正当な理由なく拒否したため、出版社側が被告に対する風評を心配して忠告したにすぎない。仮に、出版社と被告との関係が良好でないのであれば、出版社から重版したいと申し出ることはないはずである。
<5>の、原告が被告に対して著作権を放棄するよう無礼な書面を送付したという理由についても同様であり、被告が本件書籍の重版を正当な理由なく拒否し、そのことが原告の著作権を侵害する結果になるにもかかわらず、被告がその認識を欠いているため原告が感情を害したにすぎない。なお、<4>、<5>のいずれも被告が拒否を続けた後に発生した出来事であり、正当な理由に含まれる事実には当たらない。
また、<6>の、増刷の必要がないという理由は、被告の勝手な言い分である。原告は、在庫がなくなったから増刷したいと主張しているのではなく、在庫がなくなりそうなので、増刷したいとの出版社の申入れがあったため増刷したいと主張しているにすぎない。出版社が印刷を申し出ている以上、その必要性はあるのであって、被告代理人が一冊購入できたからといって、増刷の必要性がないほど十分在庫があることを証明できたことにはならない。
以上のとおり、被告の主張する出版、翻訳の拒否の理由はいずれも正当な理由には当たらない。
第三 当裁判所の判断
一 争点1(本件書籍の共同著作物性)について
1 著作権法二条一項一二号によれば、共同著作物とは、二人以上の者が共同して創作した著作物であって、その各人の寄与を分離して個別的に利用することができないものをいう。すなわち、共同著作物といえるためには、各人の寄与が著作物の中に融合してしまった結果、各人の分担部分を切り離してそれぞれに利用することができないものであることが必要であるが、この要件は、共同著作物と結合著作物とを区別するものである。複数の者により創作された著作物であっても、各人の分担部分を分離して利用できるのであれば、各人がそれぞれその担当部分を自由に行使できるものとすれば足り、あえて著作権の行使に共有者全員の合意を要求した上で、各共有者は正当な理由がない限り合意の成立を妨げることができない(著作権法六五条二項、三項)と規定する必要はないからである。
2 本件において、原告は、本件書籍は著作権法二条一項一二号にいう「共同著作物」に当たると主張し、他方、被告は、本件書籍は結合著作物であって「共同著作物」に当たらないと主張して、これを争っている。そこで検討するに、証拠(甲一、六ないし一一、乙一、二の1ないし13、三、四、八、九)及び弁論の全趣旨によれば、本件書籍の執筆経過等に関し、以下の事実が認められる。
(一) 本件書籍は、月刊誌「経済セミナー」に平成七年四月から一年間にわたり連載された本件連載を一冊の本にまとめたものである。同連載については、原告が、以前に「経済セミナー」に「ODAの経済学」、「実証・国際経済学入門」の連載を行っていた経緯があったため、同誌の編集者から、平成六年ころ、原告に同誌への連載の話が持ちかけられた。そこで、原告はこれを承諾し、大学・大学院時代からの知り合いで財団法人○○センターでは同僚であった被告に対し、同誌への連載の企画を持ちかけたところ、被告もこれを承諾したことから、同誌の編集者を交えての連載打ち合わせをした。
(二) 原告は、本件連載に当たり、本来の共著は、よく見受けられる分担執筆ではなく、だれが何を書いたか分からないほど、著者同士で意見交換をして書くべきだと話し、被告もそれについては特段異議を述べなかった。原告と被告は、平成六年五月の終わりごろから、メモをやりとりするなど連載開始に当たって協議を重ねた。同年六月一日付けメモ(甲七)及び同年一〇月一五日付けメモ(甲八)においては、最上部に「戦後日本の経済発展と構造変化」とあるのに続き、その下に原告と被告の氏名及び勤務する大学名が連記されており、「1.戦争直後の日本経済」、「2.戦後日本経済体制の確立」などのように、1から12まで目次の表題が並んでいる。同年一〇月二一日付けメモ(甲九)においては、それまでのメモの内容に加えて、本件連載を行う趣旨について記載された企画趣意文が追加された。そして、同年一〇月二二日付けメモ(甲一〇)において、原告から被告に対し、「文章の最後(「連載の予定は以下の通り」の前)に以下を追加したらどう?」というように、甲九における企画趣意文にさらに文章量として三割程度付け加える提案がされ、これを受けて、同年一〇月二四日付けメモ(甲一一)において、原告の提案文をほぼそのまま付け加えた企画趣意文を含む原告・被告連名のメモが作成された。メモは目次の題目が記載されているが、どの題目を原告・被告のどちらが担当するかについての記載は一切なかった。
(三) その後、本件連載は、おおむね以下のような手順により制作された。
(1) 本件連載の初回である平成七年四月分の原稿は、締切日(二月一〇日)が近づいてきたこともあり、原告と被告で相談し、被告がまず原稿を作成して電子メールで原告に送信することに決め、被告はそれを受けてそれまで自分で集めていた統計資料や被告の前著「地域経済と人口」を利用してまず原稿を書いて、電子メールで原告に添付文書として送信することにし、被告が平成七年一月三〇日から二月五日にかけて相次いで原稿を完成させ(一部は二月七日と一三日にずれ込んでいる)、原告に電子メールで送信した。
(2) 第二回以降の連載についても、被告がまず文章を作成し、原告に電子メールで送信し(乙二の1ないし13)、それを原告が被告と電話、ファックスで相談しながら点検して加筆訂正し、原告が書いた部分と合わせて出版社に送るという方法で原稿を制作した(この点に関し、原告は、乙二の1ないし13は完成稿であって、最終稿以前の原告と被告との間でやりとりしたメールは一切含まれておらず、それ以前に詳細な打ち合わせを行ったと主張し、原告本人の陳述書(甲六、一三)にはこれに沿う部分があるが、文章内容の中間的な打ち合わせを示す原稿、メモ等は証拠として提出されておらず、証拠上、原告の右主張を認めるに足りない。)。
(3) 本件連載の最終回の原稿が書き終えられた平成八年一月ころ、○○株式会社から、本件連載を一冊の本にまとめる企画が原告に持ちかけられた。そこで、平成八年九月二〇日、本件連載を一冊の本にまとめるかたちで、本件書籍の第一版第一刷が○○株式会社から出版された。
3 また、被告が作成して原告に電子メールで送信した原稿の内容とこれに対応する本件連載、本件書籍の内容とを、証拠に現われた範囲(具体的には、甲一、乙四が本件書籍であり、乙二の1ないし13が被告が作成して原告に電子メールで送信したと認められる原稿であり、乙三が本件連載である。)で対比すると、以下のとおりのことが認められる。
(一) 本件連載の各回の連載分において、被告が執筆して原告に電子メールで送信した部分は、本件連載の内容の相当大きな部分を占めており、特に、図表、統計等の資料については、そのほとんどが、被告が集めて記載したものをそのまま用いている。
(二) 原告は、被告が作成して電子メールで送ってきた原稿に対して、検討を加え、表現を直したり、段落と段落との間の論理をつなぐ部分を加筆したり、エピソードを挿入したり、付加的に段落を書き加えたりして本件連載の原稿を完成させ、これを○○株式会社に送付した。例えば、本件書籍の一七六頁から一八八頁をみると、被告の原稿がベースになっている部分と原告が加筆した原稿がベースになっている部分とが交互に現れている。
(三) 被告が作成して原告に電子メールで送信した原稿部分のみについてこれを通読すると、まとまりごとに意味を追うことはできるが、右認定のように段落と段落との間に原告の執筆部分が挿入されたり、あるいは付加的に段落を書き加えられたりした部分があり、経済学の分野における学術書という本件書籍の性質上、記述上の論理の展開という点からみると、本件書籍から被告の執筆部分を切り離すことは難しく、被告の執筆した部分は原告執筆部分と不可分一体となっている。
4(一) 以上のとおり、本件書籍は、本件連載を一冊の本にまとめたものであるところ、本件連載は、当初から原告と被告とが協議してお互いの担当部分が分からないくらいにするということで企画を始め、実際にも被告が作成した原稿を原告が検討し、表現を直したり付加的に加筆したりして完成稿として出版社に送るという手順で制作が行われたものであり、本件連載とこれに対応する被告の原稿の各内容を対比してみても、前記のとおり、本件連載はその相当部分を被告の原稿によっているものの、原告が表現を直したり加筆したりしたことによって、被告の寄与は、本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまっており、分離が不可能なものになっていると認められる。また、企画段階で作成したメモ並びに本件連載及び本件書籍における著者の表示においても、被告は、終始、本件連載につき原告と共同して原稿を作成するものとして記載され、被告もこれに特段異議を出さないまま、本件書籍の出版に至ったものである。
これらの事情を総合すれば、本件連載は、連載の各回ごとに、被告の創作に係る原稿の存在を前提としてはいるものの、これに原告が表現を直したり加筆したりすることによって、被告の寄与は本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまったものといわざるを得ない。したがって、本件書籍は、原告と被告とが共同で創作した共同著作物に当たると認められる。
(二) 被告は、本件書籍は各人の寄与を分離して個別的に利用することができる「結合著作物」であって、共同著作物に当たらないと主張し、乙一、二の1ないし13、三、四、九にはこれに沿う部分がある。そしてたしかに、本件書籍の基となった本件連載の原稿の執筆は、被告がまず原稿を作成し、原告に電子メールで送信し(乙二の1ないし13)、それに原告が加筆して完成稿としていたというものであり、被告作成部分の原稿が本件連載ひいては本件書籍の中で大きな部分を占めているのは前認定のとおりである。しかし、被告が当初作成した原稿が原告の修正、加筆等によって本件連載ひいては本件書籍という著作物の中に融合してしまい、分離不可能なものとなっていることは前記のとおりである。また、本件書籍(甲一)のあとがきには、「連載は毎回二人で書いたが、それぞれ自分が面白い、よく書けたと思うところが違っていて、調整もなかなか大変だった。」「本書の編集はこれまでの本同様、○○株式会社の丙野四郎氏のお世話になった。三人でよくお酒を飲みながら、本書のまとめ方について議論した。」との記載があり、あとがきの末尾に原告の氏名と被告の氏名とが上下に連記されていて、被告が当時この記載に異議をはさんだ形跡はうかがわれない。かえって、被告自身、平成一〇年七月四日付けの○○株式会社の担当者に対する手紙(乙七の一)中において、「原稿を書く過程で、お互いにコメントを出し合い、調整したため、どちらが何を書いたのか第三者には分からなくなっています。」と記載し、また、平成一〇年七月一五日付けの○○株式会社の担当者に対する手紙(乙八)中においても、「甲野氏は当時『本来の共著は、現在よく見受けられる分担執筆ではなく、誰が何を書いたか分からないほど、著者同士で意見交換をして書くべき』と主張していました。本書も形の上ではそうしたスタイルを採っています。」と記載していることが認められる。これらからすると、本件書籍は結合著作物に当たるという被告の主張を、採用することはできない。
二 争点2(正当理由の有無)について
1 著作権法六五条三項は、同条二項が「共有著作権は、その共有者全員の合意によらなければ、行使することができない。」と規定しているのを受けて、「各共有者は、正当な理由がない限り、‥‥‥前項の合意の成立を妨げることができない。」と規定する。この「正当な理由」については、正当な理由が認められれば共有著作権の行使を望む他の共有者の権利行使を妨げる結果となることにかんがみ、当該著作物の種類・性質、具体的な内容のほか、当該著作物に対する社会的需要の程度、当該著作物の作成時から現在までの間の社会状況等の変化、共同著作物の各著作者同士の関係、当該著作物を作成するに至った経緯、当該著作物の創作への各著作者の貢献度、権利行使ができないことにより一方の共有者が被る不利益の内容、権利行使により他方の共有者が不利益を被るおそれなど、口頭弁論終結時において存在する諸般の事情を比較衡量した上で、共有者の一方において権利行使ができないという不利益を被ることを考慮してもなお、共有著作権の行使を望まない他方の共有者の利益を保護すべき事情が存在すると認められるような場合に、「正当な理由」があると解するのが相当である。
2 そこで本件についてみると、本件書籍の内容、原告と被告との関係、原告と被告が本件書籍を執筆するに至った経緯、執筆の具体的作業の内容については前記認定のとおりであり、また、証拠(甲一、二、四、乙一、二の1ないし13、三、四、五、六の1、七の1、八、九)によれば、次の事実が認められる。
(一) 本件書籍は、統計資料と多くの経済学内外の学術分野における著作等の検討を通じて、第二次大戦後の日本経済の構造変化とその要因を分析するとともにその過程における政府の役割を明らかにすることにより、今後の日本経済の変化の予測とあるべき経済政策の立案に資することを目的とするものであるところ(本件書籍二一一頁参照)、本件書籍は平成八年九月二〇日に第一版第一刷が発行されており、その基となった本件連載の原稿の最終執筆時(平成八年一月)からみると、既に四年余りの年月を経ている。
(二) 本件書籍の基となった本件連載の原稿について、原告と被告との執筆した分量を比較すると、被告の執筆した原稿の分量は原告の執筆した原稿の分量を相当上回っている。原告の中心的な仕事としては、被告から被告が執筆した原稿を電子メールで送信してもらい、検討してその原稿をほとんど生かしつつ、内容的な区切りの部分、あるまとまりと他のまとまりとをつなぐ連結的部分、エピソード部分を挿入するなどして加筆することであった。
(三) 被告は、本件書籍以外にも「発展途上国の人口移動」、「地域経済と人口」、「完全マスター ゼミナール経済学入門」、「アジアの人口問題」等の著書がある経済学者であるところ、本件書籍について、主要な視点の欠落から来る不十分性を感じており、学問的に大幅に構成を見直す必要があると考えている。そして、今後新たな著作を独自に世に問う予定であるが、その関係もあり、視点が不十分と被告が考える本件書籍について、版を重ねることを希望していない。
(四) 被告は原告に対し、平成一〇年六月一二日付けで書簡(乙五)を送り、その中で本件書籍は絶版にしたいと述べたが、これに対して原告は、平成一〇年六月二八日付けの書簡(乙六の1)を被告に送り、絶版に反対する趣旨を述べた。同書簡中には、被告に礼を失していると受け取られてもやむを得ない表現もあり、原被告間に感情の軋轢が生じていた。また被告は、○○株式会社の担当者から平成一〇年七月一〇日付けの書簡(甲四)を受け取ったが、その中にも被告に礼を失していると受け取られてもやむを得ない表現があった。
(五) 本件書籍は、出版後二年余りで初版約三〇〇〇部が売れたため、出版社である○○株式会社の担当者は、在庫の量や今後の売れる見込みなどからすると、本件書籍を増刷する必要性があると考えている。また、原告は、韓国から来日して日本国内の大学の客員教授をしている学者から、本件書籍を韓国において自己の担当している八〇名から一〇〇名の学生らのために翻訳したいとの趣旨の手紙(甲二)を受け取っている。そして原告自身も、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳出版については積極的な意向を有している。
3 以上の事実によると、まず、本件書籍は「戦後日本経済の五〇年」という題に、「途上国から先進国へ」という副題が付された経済学についての書籍であり、統計資料と多くの経済学内外の学術分野における著作等の検討を通じて、第二次大戦後の日本経済の構造変化とその要因を分析するとともにその過程における政府の役割を明らかにすることにより、今後の日本経済の変化の予測とあるべき経済政策の立案に資することを目的とするものであるが、執筆後四年余りの年月を経れば、社会経済情勢の変化によって内容が陳腐化することは、免れないというべきである(この点を敷衍すると、本件書籍の属する経済学という学問分野自体が、過去の普遍的出来事の解析のみに重きを置くというよりも、日々変動する社会、経済情勢を踏まえて、それを分析、検討してさらに新たな視点を加えて理論を発展させていくという面があるところ、本件書籍が出版された平成八年当時と現在との間に、本件書籍の主題をとりまく社会経済情勢に大きな変化があり、経済学内外の分野において右主題に関連する多くの著作が明らかにされていることは、当裁判所に顕著である。)。また、被告は、経済学者として本件書籍の構成を学問的に見直す必要を感じており、過去の執筆書籍である本件書籍については、増刷、韓国語への翻訳という手法により改めて公表することについては意欲がなく、本件書籍における学問内容については日々変化する社会経済状況を加味して、自ら進展させた研究の発表という形で世に公表したいと考えていて、過去の業績をそのままの形でもう一度世に出すことについては抵抗を感じている。しかも、本件書籍の基となっている本件連載の原稿の分量についていえば、被告の原稿の分量は原告のそれを相当上回っており、それがほとんど本件連載及び本件書籍の最終稿になっていると認められることからすると、本件書籍の作成については、被告の貢献度が原告のそれを相当上回るというべきである(原告が本件書籍の原稿執筆に当たってその大まかな枠組みなどを被告に示し、被告がそれに忠実に基づいて執筆するなどといった、被告の執筆が原告の創意に基づいていることを認めるに足りる証拠はない。)。加えて、被告は、本件書籍の増刷をめぐるやりとりを通じて、原告及び○○株式会社の担当者に対する不信感を抱くに至っているが、被告がこのような感情を抱くに至った点については、原告及び右担当者の対応に責められるべき点がないとはいえない。他方、原告が本件書籍の増刷及び韓国での翻訳出版への同意を求める理由については、本件書籍の増刷、翻訳出版について出版社である○○株式会社からの要請があったこと、韓国の大学教授からの要請もあること、原告自身も増刷、翻訳出版を希望していることなどの事情があることが認められるが、本件書籍について社会的に需要が見込まれるのかどうか不明であるほか(出版時における本件書籍に対する学会ないし社会一般からの評価も明らかでない。)、本件書籍の現在の在庫部数や在庫切れとなることが予想される時期等が明らかでなく、韓国語への翻訳出版についても、自己の担当する一〇〇名足らずの学生のために自ら翻訳したいという希望が韓国の大学教授から表明されているというだけであって、翻訳者(右大学教授が翻訳を希望しているが、翻訳者としての能力、実績は不明である。)、出版元、出版予定部数等の具体的な計画がなく、また、およそ韓国においてどの程度の需要が見込まれるのかも一切明らかにされていないし、その他、本件書籍を増刷、韓国語翻訳しなければ原告の生活が経済的に脅かされるような事情や、本件書籍を増刷、翻訳することが原告の学者としての業績の上で不可欠のものとして求められていることをうかがわせる事情も、本件では証拠上認められない。これらの事情及びその他本件において認められる諸事情を総合考慮すると、本件においては、原告が権利行使ができないという不利益を被ることを考慮してもなお、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳出版を望まない被告の側の利益を保護すべき事情が存在するというべきであるから、被告には、本件書籍の増刷、韓国語への翻訳を拒むについて「正当な理由」があると解するのが相当である。
四 よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 三村量一 裁判官 和久田道雄 裁判官 田中孝一)
(別紙) 目録
題名 戦後日本経済の五〇年
副題 途上国から先進国へ
著者 原告・被告
発行者 丙野三郎
発行所 ○○株式会社